牛黄とは
漢方薬はいくつかの生薬(薬草・鉱物・動物由来)を組み合わせ「方剤」として使う機会が多いのですが、単独の生薬で用いるものもいくつかあります
その中のひとつが牛黄(ごおう)という生薬です
牛黄は牛の胆のう中に生じた結石(胆石)で、『日本薬局方』にも収載されている生薬です
解熱、鎮痛、強心の効能があり、胆石を粉末にしたものを頓服で服用します
牛黄の歴史
牛黄が薬として認識されていた歴史は古く、古代の中国はもちろんのことインド、ペルシャから広まりヨーロッパにもあったようです
飛鳥時代に成立したといわれる日本最古の法典である大宝律令(700年頃)には、すでに馬や牛が死んだときに牛黄が見つかったら政府に献上するようにという記載があります
平安時代中期の貴族・源経頼の日記『左経記』には、献上用の牛が急死し、その処理にきた河原人が牛の体内にある黒い玉「牛黄」を見つけて持ち去るが、検非違使がそのことを聞きつけて牛黄を差し出させ、感激て経頼に語ったことが書かれています
また大乗仏教の経典である「金光明最勝王経」に「瞿蘆折娜(くろせつな)」という牛黄を意味するサンスクリット語が書かれています
このように牛黄は、朝鮮半島や中国大陸からの渡来人によって仏教とともに伝わったのではないでしょうか
牛黄の精神性
牛黄は高貴薬(希少性がありそれに代わるものがない薬)であり、仏教や神道とも関わりがあるため、生薬としての身体への薬効のみならず、病のような鬼氣を払うもの、神聖なものとしてあつかわれてきています
薬師寺 花会式(修二会)
修二会とは奈良の大寺が国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事です。修ニ会とある通り、この法要は2月に行われるのですが、薬師寺の場合は旧暦の2月末に行われていた事から、そのまま新暦に直して3月25日から3月31日にかけて行われています。春先に東大寺に修二会お水取りという俗称がついたように薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから「花会式」と呼ばれ、「奈良に春を告げる行事」として親しまれています。花会式(修二会)に参篭する僧のことを「練行衆[れんぎょうしゅう]」と言い、最終日の3月31日の夜には「鬼追式[おにおいしき]」が法要の結願[けちがん]を飾ります。
薬師寺ホームページより引用させていただきました
この修二会の満行の後、結縁者には「牛玉札(ごおうふだ)」が授与されます
これは「薬師寺吉祥法印」と刷られた和紙に牛黄を混ぜた染料で印が押してあります
熊野大社 熊野牛王宝印
牛王宝印とは、神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のことです。牛王神符ということもあります。
牛王宝印は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。牛王宝印によって誓約するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。様々な寺社から発行されていた牛王のなかで最も神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。とくに武将の盟約には必ずといっていいほど、熊野牛王が使われたそうです。
熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
また、熊野牛王を焼いて灰にして水で飲むという誓約の仕方もありました。熊野牛王を焼くと熊野の社にいるカラスが焼いた数だけ死ぬといわれ、その罰が、誓約を破ったその人に当たって即座に血を吐くと信じられ、血を吐くのが恐くて、牛王を飲ますぞといわれると、心にやましいものがある者はたいがい飲む以前に自白をしたそうです。熊野牛王は誓約に用いられた他、家の中や玄関に貼れば、盗難除けや厄除け、家内安全のお札としても用いられました。
み熊野ねっとホムページより抜粋引用させていただきました
身体的な効能だけでなく、神聖なものとして、仏教、神道、修験道に関わる人々、時の権力者などに大切に使われてきました
現在でも、心身両方の効果を期待して、音楽や舞台に立つ芸術家の方、海外旅行に行く方、人前で話をする方が牛黄をお求めになります
生薬としての牛黄
牛黄は丸い玉状あるいは玉が砕けている状態で入手できます
これを服用しやすいように乳鉢で粉末状にして、1回量0.1gに分包します
強心作用、赤血球新生促進作用、解熱作用、鎮静作用、鎮痙作用、肝臓保護作用、利胆作用、血圧降下作用、末梢神経障害改善作用、抗炎症作用、抗ウイルス作用、抗酸化作用などが知られており、幅広く慢性的な症状から緊急・救命薬としても使えます
水戸黄門の印籠にも入っていたと言われる牛黄、いざという時のためにご用意されてみてはいかがでしょうか