漢方の視座(観点)

現代の医療では、痛みをはじめ体調が思わしくなければ、医師の診察を受けます。

そして、病気と診断されれば、それにともなって治療がはじまります。

病気であることを示す「病名」がつくには、検査結果や自他覚症状がある基準(ガイドライン)を満たすことが必要です。

つまり「病気」になって、はじめて「治す」ことがはじまるのです。

 

それでは、現代のような医療が確立される以前は、どうしていたのでしょう。

 

人々は身近にある植物を体内に取り入れることによって、病気を治していました。

最初は、その人にあらわれている症状を緩和するものを偶然(直感やインスピレーションで)みつけて取り入れたのかもしれません。

経験が積み重なることで、特徴のある症状を示すものに名前(病名)をつけ、すみやかに確実に適切な植物を選べるようになっていったのです。

 

その流れが世界中でさまざまな植物療法を生み出しました。

 

現在、漢方と呼ばれるものは、後漢の時代に『傷寒雑病論』という書物(当時は木簡に書かれていた)にある植物療法に端を発するものです。

 

漢方の特徴は、いくつか動物や鉱物由来のものもありますが、植物の花や葉や根を乾燥したもの(生薬)を数種類、一定の割合で組み合わせたものをひとつの薬として扱うことにあります。

それぞれの生薬の効果の総和としてではなく、組み合わせ全体としての効果をみるのです。

ある料理でひとつひとつの素材の味がすべて感じられるのではなく、料理全体としておいしいといったことに似ています。

 

また病気に関する概念も現代医療とは異なっています。

 

健康な体が何らかの原因で不調和を起こした時に、自然治癒する場合はどのような経過をたどるかがまず書かれています。

その後、自然治癒しない場合の症状に対しての方剤(漢方薬の処方)が述べられ、どのような経過をたどるかに続きます。

不調和を起こしている時の症状、例えば、発熱、下痢、出血などに「病気」を観ているのではなく、そういった症状は不調和なものを体外に出そうとして起こっていることとして、それを助けるような方剤を選ぶのです。

自然治癒としての発熱は病原菌が活動できないようにするため、下痢は毒物や冷えなどを出すためなどです。

そこに漢方薬の働きとして「汗・吐・下・和」法という方向があります。

「汗」は、汗として皮膚から出す、「吐」は、口から吐き出す、「下」は、大小便としてくだす、「和」は緩やかに汗や小便に変えて出すというものです。

 

このように漢方は「人は本来自然に治癒する力をもっている」という視座に立っていると言えます。

投稿者:

Hinatakaitendo

薬局開設者・管理薬剤師